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仏教入門2と3に解説 ![]() |
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涅槃(ネハン) 仏教の目的はネハンである。ネハンとは幸福な状態である。心が静かで安らかなことである。人間は、眠り足り、食べ足り、遊び足り、働き足り、また名利(名誉と財産)に満ち足りていれば、心は安穏であるが、満足すると同時にまた渇愛(喉が渇くように求める)を始める。 煩悩 渇愛を始めると、自分で苦しみ、他を支配したり脅かして苦しめる。自利利他ではなく自害害他である。これを煩悩という。煩悩とは求め過ぎることと、それによって苦しむことである。だから、ほどほどに求め、適当に満足すること。そこにネハンの入口がある。これを苦集滅道という。 苦=文字通り苦しみである 人生は苦楽の波の如くである。楽しいことが満ち満ちている一方で、子供の死・飢餓・病気・事故・戦争・競争・自殺・死別、などの苦しみに満ちている。過去をふり返れば、二十世紀は戦争の世紀でもある。人は人を騙し、支配し収奪し、私物化するためにこの世に生まれたのかと、目を覆うばかりの惨事が繰り返される。この世は苦である。これは悲観するためのものではなく、真実を観るためのものである。
集=渇愛・煩悩である 楽を生み出すのも、苦を生み出すのも、人間の欲望である。その欲の中で苦しみを生み出すものを、渇愛 (かつあい)といい煩悩という。 滅=ネハン 人間は自分の欲望をコントロールすることによって幸福を手にすると説く。選欲知足。即ち、良い欲を選んで伸ばし、悪い欲を捨てていく。 道=修行の道、清浄な道 ネハンへ行くための道である。お釈迦さんがこの道を歩み、弘法大師がこの道を進んだ。目先の欲、本能欲、悪い習慣の欲、何となくの欲、ボーとした欲を離れ、善を行って自分を高める。
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清浄(清い)とは、ネハン=幸福を乱さないという意味である。 例えば酒を飲めば気持ち良くなるとする。ほろ酔いで、自分も気分良く他人も楽しませるならば、悪い酒ではあるまい。しかし、深酒で体を壊し他者を殴ったりする。これは、ネハンを乱すから清浄ではない。 もっと深く考えていくと、ネハンは自分のネハン、他人のネハンがあり、世界中の生き物の数のネハンがある。人間の数だけでも数十億のネハンを損なわない、というのが仏教である。 弘法大師も「衣食なしでは生きられぬ」と随所に示し、お釈迦さんも「この世の生き物は我が命のために他者と競り合っている」と示すように、私たち人間は衣食を分かち合うことすら困難な欲望の虜として生まれている。自分のネハンを壊さず、他者のネハンを損なわないとは実に難題を背負って私たちはこの世に生まれたのである。 一 他人がどうのこうの、そしてあれがしたい、これがしたいと心をざわめかせる前に、自分に安らぐことである。ここに命があること自体が不思議であり、奇蹟であり、幸福である。もしも今日の食に事欠かず、家族と健康であるならば、只今の自分に満足し、心を休め、自分のネハンを持つことである。 二 自分の第一のネハンが得られたら、やるべきことを行うのが第二のネハンである。生きつづけているということは、様々な恩恵を受けているということに他ならない。地球があり、空気があり、水があり、食物があり、労働による生産物があり、人々がある。だから私たちは生きつづけている。実は自分の命とは他者の命の上に胡座をかいている。そして自分ひとりを宇宙から取り出すこともできないし、この恵みを独り占めすることもできない。その恵みに対して、返すことが必要である。それがやるべきことを行うということ。それは、同時に共に生きる人々が、自分と同様の尊厳・価値を持っているという認識でもある。他人の尊厳・痛み・心のネハンを発見するということでもある。 三 自分も他人もみんながネハンを得ること。仏教の最高の目的である。真実として皆がネハンを得ることの第一段階として、自分の欲望として、皆の幸福を願うという事がある。もしも皆が皆の幸福を祈るならば、人と人は信頼しあい愛情(慈悲)に守られて、その時既に仏のふところにあって、ネハンを得ている。その祈りが仏であって、だから仏を信じるということは、一分の安らぎを得るのである。 ある努力家が「自分を誉めたい」と語った。皆その言葉に感動した。自分で自分を誉める。自立した人間がそこにある。普通なら「皆のために頑張りました」と言うだろう。そうすると、そこには、「誉められたい」「期待に応えたい」という欲がある。「欲」に対して満足があるのである。それは不動の喜びではない。仏者は只ひたすら「涅槃」を求める。仏者は名利は求めない。名利とは世間の誉れであり欲得である。仏者はひたすら幸福そのものを求める。 世間の誉れも国家の英雄と賞されることも、「涅槃」に到る為の一つの「使い」でしかない。赤ちゃんの成長のためにはおもちゃが要り、少年には親の期待が要り、青年には社会の誉れが要り、大人には家族や国家や世界が牽引となる。その時その時の、その人の状態にあわせて必要な欲と対象がある。 「自分だけよければいい、他人が傷ついてもいい」に始まり、「金のためなら辛いことも」「世間受けしたい」「誉められたい」「役に立ちたい」「家族のためなら」「人に喜ばれたい」「人類のために」・・・と欲には段階がある。 しかし、それらは仏者にとっては全て「途中」であり「枝葉末節=使い」である。 自分が、『生まれてきて良かった』と思うこと、そしてみんなが『生まれてきて良かった』と思うこと。それが仏者の期待する所である。仏教の望みはそれ以上でもなくそれ以下でもない。 ただし、仏者は、「傍ら痛い」、ということを忘れてはならない。古来「やさしい」という言葉がある。それは他人の苦しみや困難を観て「自分が痩せる思いをする」ということである。「傍ら痛い」とは困っている人の側にいて心が痛むということである。これを仁といい情という。思いやるのではなく思いが伝わってくる。これは妙である。理屈では解決できない痛みの世界=苦の世界の出来事である。 色々な欲をうまく使って自分を高めていくこと、 他人を喜ばせること、 安らぐこと 痩さしくあること 人が死のうが生きようが 人が死のうが生きようが無頓着なのが現代である その意味では自分だけの涅槃を得やすい しかし、他人の心が分からない、 他人の痛み喜びが分からないのでは真の幸福はない 他者が見え、その見えたものを退けずに、その見えた心全部を大切にすることが心の豊かさとなる 今日、人は助け合って生きる事ができる 皆で守り合うのが仏教である 内の平和と外の平和内の平和とは心の涅槃のことである 外の平和とは戦争・支配・貧困の無いことである 人間は心と環境によって苦楽する 心を成長させること、社会・環境を良くしていくこと この両輪がなければ人は決して幸福にならない 騙されることなく、驕ることなく 両方の平和へと道は続いている それを、自利利他という attadandaa bhayam jaatam janam passatha medhakam (With weapon ,fear is born. Look at the people who are quarreling.) samvegam kittaayissaami yathaa samvijitam mayaa/ (I will explane the way how I overcom the grief.) phandamaanam pajam disvaa maccho appodake yathaa annamannehi vyaaruddhe disvaa (In watching people who are trembling like fishes in a pond with little water,) maam bhayam aavisi/(Fear has began to live in me.) samantam asaro loko disaa sabbaa samerite iccham bhavanam attane naaddasaasim anositam/ (The living place is flowing about all the directins.And every way is froating. So I couldn't find the place to live confortable without fear of fighting.) osane tu eva vyaaruddhe disvaa me aratii ahu ath' etha sallam addhakkhim duddhasam hadayanissitam/ (By seeing that we become hostile against our will after all,I became suffering. Then ,in that very moment, I watchet the arrow attached on the heart difficult to see. ) yena sallena otinno disaa sabbaa vidhaavati tam eva sallam abbuyha na dhaavati nisiidati/ (By that arrow everyone is roaming about quickly to the every direction. If with drowing that arrow off,we will never flow or sink.) tattha sikkaanugiiyanti/云々 |