_ 入口とは、何となく確認できる苦しみの数々
出口とは、その無くなる具体的方法
_ 入口とは、いくつかの人々に責任を持ってしまったこと
出口とは、その責任を果たす方法
_ 入口とは、あとどれだけの苦難が地獄のようにこの世を覆っているかということ
出口とは、その解放
_ スッタニパータの偈文第836
マーガンディアが問う
「覚れし者よ、あなたは、この世の覇権を極めた王たちが得た、女や、財宝などのは意味がないというが、ならば、どのような、戒律や道徳、つまり、規制によって得る利益や、高貴とされる徳目や、生きかたの上下を説くのか、或いは、どの種類の生まれ変わり、つまり、生まれ変わって、神になったり、永遠の命を得たり、地獄や畜生に堕ちるということを説くのか」
ブッダが答える
「私は、『これだ』と説くものはない。何か求める、その執着の中に問題がある。わたしたちは今すぐ、私の、我が安らぎ、平和を求めることが、そのような闘争無しにできるのだ」と。
_ 吾曰く、
「そのような現世の快楽元素や、おあずけと御利益の関係や、あの世への期待とは、別の所に私たちの幸福はある。それは、自分で自分を平和にすることである。簡単だ、全く簡単だ、しかし、殺されている他者を救うことは全く不可能だ。殺しつつある彼をここへ呼んで来ることも困難だ。孤独だ。しかし、まず自分を幸福へと導くことは無一文でもできる。つまり、誰でもできる簡単な事なのだ。と、そのようにブッダは言った」と。
_ きょうもホームレスの人が案内されて来る。
失業保険が出るまでの間、行く所がないという。しばらく泊まって食べていけば良い
半月後には、新しい大企業のパートの仕事が内示されるだろうという
恵まれている方なのだ
でも、僕はもっと恵まれている。
その差異は誰が決めたのか。不条理。さいころ。神の気まぐれ。ブッダの怠慢。いやいや自分のいや自分たちの怠慢とすべきか。
_ 今日もというのは、これでこの間何人のホームレスの方を泊めたか。そしてその人々に、どの程度自己責任という言葉が有効であったか、今後もっともっと非現実的であるか、その事を首相に問い詰めたい。
その前に私の首が絞まるようだが。しょせん、他人事は他人事。我が事とどのところまでをできるかが分かれ目。
日記内検索
最近の更新
2006-03-01
宗教の一面は
宗教とは、各セクトに於ける、常識、言い換えると、共通の観念であり、集団意識であり、隠語である。
何かに搦め捕られ、何かに無理矢理変質させられること。
結論的なことを敢えて言うならば、
2006-03-02
入口とは、何となく確認できる苦しみの数々
入口とは、いくつかの人々に責任を持ってしまったこと
入口とは、あとどれだけの苦難が地獄のようにこの世を覆っているかということ
スッタニパータの偈文第836
吾曰く、
きょうもホームレスの人が案内されて来る。
今日もというのは、これでこの間何人のホームレスの方を泊めたか。そしてその人々に、どの程度自己責任という言葉が有効であったか、今後もっともっと非現実的であるか、その事を首相に問い詰めたい。
2006-03-03
生きているとは、何かがまだできること
加藤俊行方丈師匠曰く
2006-03-04
論争というのは、論じ合った結果、争いになるということだろうか。
どうして
そうだ、ブッダが言った。
でも、だからこそ、阪神震災やスマトラ震災に頭をねじこんで何とか頭の活性化を強要しようとしたのに、何故か世間体が邪魔して、成就しなかったと、弁解するのか。
2006-03-05
私が言いたいのは、もしも私たちが有ると思っている路線がもしも虚構だったらということである。
2006-03-06
ブッダは「宗教戦争をやめよ」と言ったのではないか。
これは難しい。
大杉栄のラ・ナルシー
そんなことを聞くまでもなく、前述のように、米軍はファルージャの悪魔を繰り返している。
2006-03-07
「もうしませんから、許してください。絶対しません」・・・子どもと遊んでいるとこの言葉を何度も聞くが、その度に、忘れてはまた繰り返す。
記憶が人間の崇高な精神と考える人もいる。或いは記憶こそ意識の本源と考える。私もその方向に靡く。
野ばらさんの
2006-03-08
昨日、結縁灌頂の講習会があった。その実際の行為が何となく朧げに脳に刻まれた。
私が俊行方丈師匠に聞いた覚えでは、「戒を授けることにある」である。そういえば、最澄大師は「戒壇」を設けることに一生を費やしたと聞く。いや、師は純粋な衆生再度の行と格闘して人生を捧げた方と想うが・・・。
三聚浄戒とは、
結縁灌頂の真髄、目的は、簡単明瞭、共感と共生の楽土をこの世に齎すことであった、と想うのは的外れであろうか。
転送
2006-03-09
そうだジェームズは心理学者で宗教学者であったことを思い出した。
前者は、この世を楽園と考える。野生の大国も優勝劣敗の弱肉強食王国も自然の調和の取れた美しい世界である。
後者は、この世が苦しみや罪や無意味や痛みであると考える。いや考えるのではなく、苦しむ。
真に目覚めた人間とは、この時代になってもまだ、力ずくで自分の意思や価値を農民に押しつけられると考える人ではなく、たとえ世界の現実を知らないと批判されようとも、戦争に訴えることだけはやめようとする人なのだ。
2006-03-10
人間には表と裏があるのだろうか
その七変化が、さいころの目のように、次々と変わりくるくる回るのは却っておもしろいのかもしれない。
そんなことは、想像する事ではなく、既に世界に血みどろに塗られている彼や彼女のことであるのに、そうかなと私はいま思ってみたりする。なるほど、心中には賽子のあらゆる目の色を想像してみる事もできるが、個々人に今運命のように彩られた賽の目は、まさにこのようにして、差別を繰り返している。
2006-03-11
こころが通じ合う時は楽しく、心が離れる時は悲しく、どちらかが話そうとした時は痛い。
外から彼は見られた。そして温かい心の対象としてあった。
確かに、この世を去るに去れないということは在るだろう。
心を共有するということがもしも有るならば、そのように心やすまる時はないで在ろう。それは時ではなく存在とでもいう代物であろう。
そして、無念に身を埋めるよりは、生きて辱めを受けながら、他と共存すべきというのだろうか。
2006-03-12
亡霊ならば、意図もなく、責任もない。何故なら亡霊だからだ。
鳥とびたちて
Please come to my end or ends.
なんという深い痛み、そして、愛と不能。
いい加減な男と「子どもの商業的搾取における企業の責任(アムネスティ-通信)」http://www.amnesty.or.jp/
2006-03-13
去る9日、南部タイ援助の舟が被災者に渡され進水式。
その名は平和と笑顔号
2006-03-14
ホワイトデーのお風呂接待。8人のホームレス者と11人のボランティアが楽しそうだった。常連さんになってしまったが、約二十名の話は真剣でもあり楽しそうでもある。
しかし、例えは避難所をつくろうという計画。もしも、皆が居ついて更に応募者が増えたらどうする。旅立つ人はなく住居人ばかり増加するシェルター。
2006-03-16
今日、次から次へと映し出される、豪華な生活に快楽する?金持ちの生活に羨望の色を濃くする一方で、腹を空かせた子をおぶる母親などの写真を見て、自分の生活に後ろめたさを感じている人も少なくないであろう。
転写
アマルティアとは阿弥陀・不死という意味である。それはさておき彼は、アジア再生の鍵は、かつての経済至上主義路線ではなく、人間中心の経済政策への転換であると言う。キーワードは「人間の安全保障」「剥奪状態」「潜在能力」「人間的発展」。
仏教でいう「空」とは一切の束縛からの解放とも考えられる。意識に於けるそれは、一切の固定観念、先入観、名前、概念、記憶、しがらみからの解放。
2006-03-18
<ぶろぐの場所><<というのは、不思議で恐ろしくてわくわくして裏切られてまた思いなおして、妙な場所
この謂いも先日の他者と我が内にある他者の議論のような気もする。
フロイトや生化学や認知科学に生の有限性を断裁されるまでもなく、この地方には、心でも明けはなくこの世にも明けのない不明瞭な諦めの人生が常に蔓延っていたのだろうか。
2006-03-20
人望の無さが世界を不幸にした
2006-03-21
人間に生まれることは希有なことで誉れ高いことだと言う
2006-03-22
「可愛い傘ですね、いい色、だれが買ったのですか」
2006-03-23
寂しい夜の過ごし方があるだろうか
出口がないのではなく、出口を求めるための努力が充分になされてないように見える。
責任を持ったならそれを果たすための答えを自らに導くべきではないのかと思う。
それをしようとしないのは怠慢であり無責任という気がする。
しょせん・・と他者を責める前に平和や安らぎを得るために自らはどれだけの努力を成したのであろうか。
人が生きていくうえで必要なものなどそれ程多くはない。
健康に恵まれ生きている。子に恵まれる。人を思いやれるこころを持っている。誰かの幸せを願うこころを持っている。思うだけでなく行動を起こせる。宝はそんなことのひとつひとつだと思っている。
幸福感や価値観は人によって違うので全ての人に通ずるとは思っていませんが・・
前言撤回します。
大きなお世話さまでした。
私には 入り口が今一まだ解りません。いつのまにか入っているように思います。いつのまにか入った入り口からの出口の方が解りやすく思います。解放は その出口と変わらないと思います。芯から解放する為には、信仰は不可欠と考えます。なぜに信仰が不可欠かと言うと、救われる安らぎを信仰するようになってから体験するようになりました。だから解放は信仰から生まれると思っています。
ホームレスの方も様々なものを背負い生きていると思います。まともな生活をしている私達の 社会に生きる人と 背負っているものは余り変わらないと思っています。ホームレスの方が悪いのでもなく 首相が悪いのでもなく 私達のすべき姿は 俊生の行いだろうと思います。風呂やご飯等を与え心が丸くなるのは 仏様の願い事です。私も 寺職でしたら同じ事をしたと思います。合掌
俊生さんです 汗タララ ごめんなさい。呼び捨てになっていました!訂正いたします。俊生さんです。
何度も すみません・ホームレス問題は まだ地方自治体レベルですが、住まいを確保したり色々と手を尽くしているそうです。頑張りましょう。
共生という言葉があります。
ホームレスの人に何かを施すことは、施すことのできる自分に優越感があるのではなく、共生している実感を得る喜びなのではないでしょうか。
親子であっても、
育ててやっているという思いは驕りだと思っています。
育てさせてもらっている。
私の場合は、未熟な自分に、時には試練を与え、時には救ってもらったりと、
よく言う「育自」でもありますが、
やはり、親子も共生だと思います。
自然との共生もありますね。
障害者の方にも言われたことがあります。
自分達は特別扱いではなく、共生して欲しいのだと。
共生できる環境、システム作りを進めていかなければいけないのでしょう。
そして、何より、みんなが共生の精神を持つことが大切だと思います。