ぶつぶつ,心と世界の平和,悩み苦しみ何でも相談 石手寺の仏教


2006-03-11 紀風さんはだれ、野ばらさんはだれ、しんりょうさんはだれ、雪見大福さんはだれ、わたしはだれ

_ こころが通じ合う時は楽しく、心が離れる時は悲しく、どちらかが話そうとした時は痛い。

こころが通じるというのは、結構言い換えのできない事実を指しているのですね。コミュニケーションが成り立つというのは不思議な事で、我が師、弘法大師も「他人の腸を観る事は得ず」ですから、他人がなにを考えているかは分からないと言っている。

なのに、何かが通じる。いやいやそんなことより、私の言葉で他人が怒ったり笑ったり愛したりする。

ある人は言った。どうして意思の疎通が可能かについて。

「あらかじめ人間は、形を予想しているから、それに当てはまるもの或いは近い形のものが感覚に与えられればそれと認識してしまう」

ブッダは言う

「カーマ(欲望)が張られているから、そのものがそのものに見えてしまう」

そうすると、人間は愛に飢えているから愛を認め、怒りを用意しているから怒りに燃える事になる。この議論は性善説か、性悪説かになるから止めよう

人を信頼できなくなり、人を憎み、心を閉ざし世界に背を向けた人がいた。ある時、彼は、ふっと自分が如何に不幸で駄目な人間かを思い、有る所で吐露した。やはり吐露した相手はおざなりか冷たかった。

しかし、もう駄目だと思った所で打ち明けた所、彼は初めて自分を受けとめてくれるものに出会ったと思った。

彼の思いは錯覚だったか本当だったか分からない

そもそも、信頼感が彼に内蔵されていたのか、触発されたのか、植えつけられたのか分からない。しかし、彼は彼の他に心の暖かい思いやりのある人物を外界に措定し存在あらしめた。いや逆だろうか、外から確認されたのである。

_ 外から彼は見られた。そして温かい心の対象としてあった。

彼は、それを受けとめ、心の中に消し去っていた灯火を点灯した。

これでもう彼はこの世を去れるのであろうか。

_ 確かに、この世を去るに去れないということは在るだろう。

それは無念とか残念とかいう代物である。

無念にしても残念にしても、念が問題で、念とは、思いである。思いは必ず対象を必要とする。自分はこの世を去ろうとする、しかし、対象が私を去らさせない。

いやいや、私が去れないのである。何のために。たがために。誰の為に。

_ 心を共有するということがもしも有るならば、そのように心やすまる時はないで在ろう。それは時ではなく存在とでもいう代物であろう。

分かっても分かっても分かり合っても分かり合っても共有してもしても時が連れ去っていく悲しさ。そういえば、悲しいという「悲」は、心が引き裂かれるという字だと聞いた。確かめる間もなく、そうだと信じた。心が引き裂かれる。そしたら、私の心が引き裂かれるのみならず、私と他者の間になりたった心の共有が引き裂かれるということか、泡と消えるということか。

泡沫うたかたという言葉を生み出した人は天才であり地獄からの使者である。

所詮、このような言葉の遊びは泡沫であり、今、縊死せんと綱を張る人の思いは誰ぞ知る。知らずして知る。知ってはともに逝く。

_ だからこそ、誰かが言ったように、らっきょうを剥く様に、人々は自分を疑い他を訝り真実を呪い悪を引き寄せてそして泣く。であるから、やはり共感する時を大事にしたい。というより大事なのだと確信する。論より証拠、その共感の事実が共生の事実が我をして生かしむことを確認すべきなのだろう。

_ そして、無念に身を埋めるよりは、生きて辱めを受けながら、他と共存すべきというのだろうか。

有限の時間。自分の他界を認めるのはやはり酸っぱい葡萄なのだろうか。

ならば、有限は生存者によって無限へと、取り敢えず延期されることによって、有限の誹りを免れるということか。

さすれば、無念残念こそ永遠の鍵ということになる。なんという逆転、なんという苦難、なんというリアリズム。

_ 個人でしょうか、それとも大衆でしょうか。個人を生かす者は、常に個人でなくてはならない。なんとふかいよる。

_ 具体性がなければ、明日これこれの時間にどのように何をするということかなければ、なにもない。

_ 有限とはいやいや人間がいつか死ぬということは待てないとういことでしょう。待てないとは死ぬということです。去るということです。待っているとは死ぬかもしれないということを覚悟して死んでいるということです。

本日のツッコミ(全10件) [ツッコミを入れる]
_ 野ばら (2006-03-11 00:57)

この世を去れる彼とはどのような彼なのでしょうか?
心の中に消し去っていた灯火とは?それは何故消されたのでしょうか?

_ 野ばら (2006-03-11 01:28)

喉元過ぎれば熱さ忘れる人というのは反省心を持ってない人だと思う。
だから同じ過ちを何度も繰り返す。しかもその責任をちゃっかり人に転嫁する。
嫌いだな〜そういう不潔な心を持った人。

引き受けるばかりが責任を全うすることではないと思うけど。

_ 紀風 (2006-03-11 01:36)

共鳴する、共感する時は、魂がその出会いを喜んでいるような感じです。
他人の中に自分を見つけ、自分の中に他人を感じる。
繋がっているという感覚でしょうか。
証明できないから、錯覚や妄想ともとられるかもしれないけれど…
絡まったものを解き解してくれるような出会いは確かにあると思います。

勇気を出して、自ら発信、伝える努力が大切なのではないでしょうか。

_ しんりょう (2006-03-11 01:53)

私から説教をまた受けたいですか?言いたい事も 伝えたい事も みな解ります。私が 以前に送った消去を求む記載をよく読んで下さい。ご自分も家族までも苦しんでしまうんです。苦しむ事には反対です。気をしっかり持って下さい。ご自分の心をしっかり持って下さい。合掌

_ しんりょう (2006-03-11 02:08)

人の苦しみ 愛欲もそうですが 他人には解らない傷の慰め合いは現実に存在します。一般社会では 見た目は嫌らしい愛欲はあったとしても 双方はそれに生きれる力を生み出す事は多分にあります。魔か不思議と言われる由縁でしょう。それも仏様作り出す智恵です。知恵袋です。仏様の作り出す知恵袋に反してならないです。解りましたか?おわり

_ しんりょう (2006-03-11 02:30)

他人の腸観ること得ず。空海さんが 入定されるまで 同じ思いだったとしたら、入定される事は無かったと思います。こうした思いの時期もありましたと 付け加えたい気持ちになります。入定される前に、最後の一人までも救うと言われたかと思います。他人が解らないでは、一人も助ける事は出来ませんよ。釈迦は悟りを勧めてお歩きになりました。空海も同じです。違うかな?

_ しんりょう (2006-03-11 02:43)

また 一言二言、言いたくなりますので あまりサイトにお邪魔しないように気を付けます。以前に大量に送ったメールの内容と、ここに入れる内容は変わりません。たまに 見させて頂き皆様の元気な姿を楽しみに致します。合掌

_ 野ばら (2006-03-11 14:01)

真実を自ら確かめることもしないで、このまま彼を消してしまっても良いの?
後悔しない?
確かめてみる勇気はまだある?

_ 野ばら (2006-03-11 23:42)

どうしてそのように何もしないうちから拒絶してしまうのでか。
ひとりで勝手に決め付けるですか。
対象があるのなら何故ぶつからないのですか。
対象となる人は、待っていたかもしれないと考えたことはなかったのですか。
そんな風で真に人と向き合えるのですか。
だから上手くいかないのではないのですか。
読んでいて泣きたい気分です。
あなたが本気で対象としたい人とは誰なのでしょうか。

_ 野ばら (2006-03-12 01:36)

待つことは死んでいることではないと思います。
明日への希望を繋ぎながら待つこともあると思います。
個人に宛てられたものかそうでないかは読まれてから見極めてください。
ご自身に思い当たるものがないなら違うのでしょう。
あーぁ、何でこんなにむきになるのか・・
情けない気分から今度は怒りだ。






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最近の更新

2006-03-01

宗教の一面は
宗教とは、各セクトに於ける、常識、言い換えると、共通の観念であり、集団意識であり、隠語である。
何かに搦め捕られ、何かに無理矢理変質させられること。
結論的なことを敢えて言うならば、

2006-03-02

入口とは、何となく確認できる苦しみの数々
入口とは、いくつかの人々に責任を持ってしまったこと
入口とは、あとどれだけの苦難が地獄のようにこの世を覆っているかということ
スッタニパータの偈文第836
吾曰く、
きょうもホームレスの人が案内されて来る。
今日もというのは、これでこの間何人のホームレスの方を泊めたか。そしてその人々に、どの程度自己責任という言葉が有効であったか、今後もっともっと非現実的であるか、その事を首相に問い詰めたい。

2006-03-03

生きているとは、何かがまだできること
加藤俊行方丈師匠曰く

2006-03-04

論争というのは、論じ合った結果、争いになるということだろうか。
どうして
そうだ、ブッダが言った。
でも、だからこそ、阪神震災やスマトラ震災に頭をねじこんで何とか頭の活性化を強要しようとしたのに、何故か世間体が邪魔して、成就しなかったと、弁解するのか。

2006-03-05

私が言いたいのは、もしも私たちが有ると思っている路線がもしも虚構だったらということである。

2006-03-06

ブッダは「宗教戦争をやめよ」と言ったのではないか。
これは難しい。
大杉栄のラ・ナルシー
そんなことを聞くまでもなく、前述のように、米軍はファルージャの悪魔を繰り返している。

2006-03-07

「もうしませんから、許してください。絶対しません」・・・子どもと遊んでいるとこの言葉を何度も聞くが、その度に、忘れてはまた繰り返す。
記憶が人間の崇高な精神と考える人もいる。或いは記憶こそ意識の本源と考える。私もその方向に靡く。
野ばらさんの

2006-03-08

昨日、結縁灌頂の講習会があった。その実際の行為が何となく朧げに脳に刻まれた。
私が俊行方丈師匠に聞いた覚えでは、「戒を授けることにある」である。そういえば、最澄大師は「戒壇」を設けることに一生を費やしたと聞く。いや、師は純粋な衆生再度の行と格闘して人生を捧げた方と想うが・・・。
三聚浄戒とは、
結縁灌頂の真髄、目的は、簡単明瞭、共感と共生の楽土をこの世に齎すことであった、と想うのは的外れであろうか。
転送

2006-03-09

そうだジェームズは心理学者で宗教学者であったことを思い出した。
前者は、この世を楽園と考える。野生の大国も優勝劣敗の弱肉強食王国も自然の調和の取れた美しい世界である。
後者は、この世が苦しみや罪や無意味や痛みであると考える。いや考えるのではなく、苦しむ。
真に目覚めた人間とは、この時代になってもまだ、力ずくで自分の意思や価値を農民に押しつけられると考える人ではなく、たとえ世界の現実を知らないと批判されようとも、戦争に訴えることだけはやめようとする人なのだ。

2006-03-10

人間には表と裏があるのだろうか
その七変化が、さいころの目のように、次々と変わりくるくる回るのは却っておもしろいのかもしれない。
そんなことは、想像する事ではなく、既に世界に血みどろに塗られている彼や彼女のことであるのに、そうかなと私はいま思ってみたりする。なるほど、心中には賽子のあらゆる目の色を想像してみる事もできるが、個々人に今運命のように彩られた賽の目は、まさにこのようにして、差別を繰り返している。

2006-03-11

こころが通じ合う時は楽しく、心が離れる時は悲しく、どちらかが話そうとした時は痛い。
外から彼は見られた。そして温かい心の対象としてあった。
確かに、この世を去るに去れないということは在るだろう。
心を共有するということがもしも有るならば、そのように心やすまる時はないで在ろう。それは時ではなく存在とでもいう代物であろう。
そして、無念に身を埋めるよりは、生きて辱めを受けながら、他と共存すべきというのだろうか。

2006-03-12

亡霊ならば、意図もなく、責任もない。何故なら亡霊だからだ。
鳥とびたちて
Please come to my end or ends.
なんという深い痛み、そして、愛と不能。
いい加減な男と「子どもの商業的搾取における企業の責任(アムネスティ-通信)」http://www.amnesty.or.jp/

2006-03-13

去る9日、南部タイ援助の舟が被災者に渡され進水式。
その名は平和と笑顔号

2006-03-14

ホワイトデーのお風呂接待。8人のホームレス者と11人のボランティアが楽しそうだった。常連さんになってしまったが、約二十名の話は真剣でもあり楽しそうでもある。
しかし、例えは避難所をつくろうという計画。もしも、皆が居ついて更に応募者が増えたらどうする。旅立つ人はなく住居人ばかり増加するシェルター。

2006-03-16

今日、次から次へと映し出される、豪華な生活に快楽する?金持ちの生活に羨望の色を濃くする一方で、腹を空かせた子をおぶる母親などの写真を見て、自分の生活に後ろめたさを感じている人も少なくないであろう。
転写
アマルティアとは阿弥陀・不死という意味である。それはさておき彼は、アジア再生の鍵は、かつての経済至上主義路線ではなく、人間中心の経済政策への転換であると言う。キーワードは「人間の安全保障」「剥奪状態」「潜在能力」「人間的発展」。
仏教でいう「空」とは一切の束縛からの解放とも考えられる。意識に於けるそれは、一切の固定観念、先入観、名前、概念、記憶、しがらみからの解放。

2006-03-18

<ぶろぐの場所><<というのは、不思議で恐ろしくてわくわくして裏切られてまた思いなおして、妙な場所
この謂いも先日の他者と我が内にある他者の議論のような気もする。
フロイトや生化学や認知科学に生の有限性を断裁されるまでもなく、この地方には、心でも明けはなくこの世にも明けのない不明瞭な諦めの人生が常に蔓延っていたのだろうか。

2006-03-20

人望の無さが世界を不幸にした

2006-03-21

人間に生まれることは希有なことで誉れ高いことだと言う

2006-03-22

「可愛い傘ですね、いい色、だれが買ったのですか」

2006-03-23

寂しい夜の過ごし方があるだろうか