ぶつぶつ,心と世界の平和,悩み苦しみ何でも相談 石手寺の仏教


2006-03-16 世界の半分はなぜ飢えるのか

_ 今日、次から次へと映し出される、豪華な生活に快楽する?金持ちの生活に羨望の色を濃くする一方で、腹を空かせた子をおぶる母親などの写真を見て、自分の生活に後ろめたさを感じている人も少なくないであろう。

まことに異常な世の中だと思う。

テレビに次々と映し出される事柄は、その通しているカメラの向こう側にある事実である。(戦争をあおる時に移された映像は嘘だったが)。美味しいクッキーを頬張りながら、そんな映像を見ることは不遜だが、不用意にも映像は飛び込んでくる。私たちにできることは感じなくなることか、テレビを消すことか、チャンネル変えるか、チャリティーに出かけるか、政治家になるか・・・

やはり悪い政治家が居なくなれば良くなるだろうが、そのためには世論が高まらないとどうしようもない。やはり、テレビのこちら側の意識が問われている。

_ 転写

アマルティア・センという人が具体的に「人たるに値する生活」を示したところによると、まず「適切な栄養を得ているか」「雨露をしのぐことができるか」「健康状態にあるか」「避けられる病気にかかっていないか」を挙げ、次に「読み書きができるか」「移動することができるか」「人前に出て恥をかかないでいられるか」「自尊心を持っていられるか」「社会生活に参加しているか」を挙げています。

_ アマルティアとは阿弥陀・不死という意味である。それはさておき彼は、アジア再生の鍵は、かつての経済至上主義路線ではなく、人間中心の経済政策への転換であると言う。キーワードは「人間の安全保障」「剥奪状態」「潜在能力」「人間的発展」。

彼は「貧困の克服」の中で仏教についてこう書いている。

「仏教の伝統では、自由というものがたいへん重視されています。そして初期のインドにおける理論構築のなかで仏教思想が関係している部分には、意思力と自由な選択のためにかなり広い余地を与えています。高潔な行いは自由のうちに実現されなければならないとされています。そして、解脱のような仏教の解放の考え方にさえ、このような特色があります。」

_ 仏教でいう「空」とは一切の束縛からの解放とも考えられる。意識に於けるそれは、一切の固定観念、先入観、名前、概念、記憶、しがらみからの解放。

お四国は「発心」「修行」「菩提」「涅槃」と言うらしいが、その第一の発心とは意思の発動である。自分で運命を引き受け、自分で自分の人生を選び執るのが発心であり、意思である。自由意思である。

その自由意思の中身とは「自利利他」であり、その本体は慈悲ではなかろうか。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]
_ しんりょう (2006-04-06 16:10)

一切の束縛の解放は 悟りですよ。釈迦も歴代の仏様も 経験された事を 空と言われました。もし良かったらhttp://www.hamq.jp/i.cfm?i=shinryoこちらへ

_ しんりょう (2006-05-14 23:14)

空海さんも 悟りを開けば 仏の真理が解ると言われたと 何かの本で読みました。読んだ時に 何だか 燃えましたね(^^)v空海オタクに、はまった一瞬かな。

_ しんりょう (2006-05-15 00:25)

どっかの寺は そんな人や国は 位が低く 行が足らない 感謝が足らないとして 人を下に見ては 今日も明日も明後日も 殺人者を作る。こんな話をしても埒が開かないので 今日で辞めます。殺人者製造寺とは これ以上、付き合いたくありません。考えたくありません。私の目の前にある物に 何かを感じて幸せを味わい 他界したらお釈迦3に 有難うと言える様になりたいです。既に なっている様にも思います。正しい信仰は 楽しいです(^^)v






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最近の更新

2006-03-01

宗教の一面は
宗教とは、各セクトに於ける、常識、言い換えると、共通の観念であり、集団意識であり、隠語である。
何かに搦め捕られ、何かに無理矢理変質させられること。
結論的なことを敢えて言うならば、

2006-03-02

入口とは、何となく確認できる苦しみの数々
入口とは、いくつかの人々に責任を持ってしまったこと
入口とは、あとどれだけの苦難が地獄のようにこの世を覆っているかということ
スッタニパータの偈文第836
吾曰く、
きょうもホームレスの人が案内されて来る。
今日もというのは、これでこの間何人のホームレスの方を泊めたか。そしてその人々に、どの程度自己責任という言葉が有効であったか、今後もっともっと非現実的であるか、その事を首相に問い詰めたい。

2006-03-03

生きているとは、何かがまだできること
加藤俊行方丈師匠曰く

2006-03-04

論争というのは、論じ合った結果、争いになるということだろうか。
どうして
そうだ、ブッダが言った。
でも、だからこそ、阪神震災やスマトラ震災に頭をねじこんで何とか頭の活性化を強要しようとしたのに、何故か世間体が邪魔して、成就しなかったと、弁解するのか。

2006-03-05

私が言いたいのは、もしも私たちが有ると思っている路線がもしも虚構だったらということである。

2006-03-06

ブッダは「宗教戦争をやめよ」と言ったのではないか。
これは難しい。
大杉栄のラ・ナルシー
そんなことを聞くまでもなく、前述のように、米軍はファルージャの悪魔を繰り返している。

2006-03-07

「もうしませんから、許してください。絶対しません」・・・子どもと遊んでいるとこの言葉を何度も聞くが、その度に、忘れてはまた繰り返す。
記憶が人間の崇高な精神と考える人もいる。或いは記憶こそ意識の本源と考える。私もその方向に靡く。
野ばらさんの

2006-03-08

昨日、結縁灌頂の講習会があった。その実際の行為が何となく朧げに脳に刻まれた。
私が俊行方丈師匠に聞いた覚えでは、「戒を授けることにある」である。そういえば、最澄大師は「戒壇」を設けることに一生を費やしたと聞く。いや、師は純粋な衆生再度の行と格闘して人生を捧げた方と想うが・・・。
三聚浄戒とは、
結縁灌頂の真髄、目的は、簡単明瞭、共感と共生の楽土をこの世に齎すことであった、と想うのは的外れであろうか。
転送

2006-03-09

そうだジェームズは心理学者で宗教学者であったことを思い出した。
前者は、この世を楽園と考える。野生の大国も優勝劣敗の弱肉強食王国も自然の調和の取れた美しい世界である。
後者は、この世が苦しみや罪や無意味や痛みであると考える。いや考えるのではなく、苦しむ。
真に目覚めた人間とは、この時代になってもまだ、力ずくで自分の意思や価値を農民に押しつけられると考える人ではなく、たとえ世界の現実を知らないと批判されようとも、戦争に訴えることだけはやめようとする人なのだ。

2006-03-10

人間には表と裏があるのだろうか
その七変化が、さいころの目のように、次々と変わりくるくる回るのは却っておもしろいのかもしれない。
そんなことは、想像する事ではなく、既に世界に血みどろに塗られている彼や彼女のことであるのに、そうかなと私はいま思ってみたりする。なるほど、心中には賽子のあらゆる目の色を想像してみる事もできるが、個々人に今運命のように彩られた賽の目は、まさにこのようにして、差別を繰り返している。

2006-03-11

こころが通じ合う時は楽しく、心が離れる時は悲しく、どちらかが話そうとした時は痛い。
外から彼は見られた。そして温かい心の対象としてあった。
確かに、この世を去るに去れないということは在るだろう。
心を共有するということがもしも有るならば、そのように心やすまる時はないで在ろう。それは時ではなく存在とでもいう代物であろう。
そして、無念に身を埋めるよりは、生きて辱めを受けながら、他と共存すべきというのだろうか。

2006-03-12

亡霊ならば、意図もなく、責任もない。何故なら亡霊だからだ。
鳥とびたちて
Please come to my end or ends.
なんという深い痛み、そして、愛と不能。
いい加減な男と「子どもの商業的搾取における企業の責任(アムネスティ-通信)」http://www.amnesty.or.jp/

2006-03-13

去る9日、南部タイ援助の舟が被災者に渡され進水式。
その名は平和と笑顔号

2006-03-14

ホワイトデーのお風呂接待。8人のホームレス者と11人のボランティアが楽しそうだった。常連さんになってしまったが、約二十名の話は真剣でもあり楽しそうでもある。
しかし、例えは避難所をつくろうという計画。もしも、皆が居ついて更に応募者が増えたらどうする。旅立つ人はなく住居人ばかり増加するシェルター。

2006-03-16

今日、次から次へと映し出される、豪華な生活に快楽する?金持ちの生活に羨望の色を濃くする一方で、腹を空かせた子をおぶる母親などの写真を見て、自分の生活に後ろめたさを感じている人も少なくないであろう。
転写
アマルティアとは阿弥陀・不死という意味である。それはさておき彼は、アジア再生の鍵は、かつての経済至上主義路線ではなく、人間中心の経済政策への転換であると言う。キーワードは「人間の安全保障」「剥奪状態」「潜在能力」「人間的発展」。
仏教でいう「空」とは一切の束縛からの解放とも考えられる。意識に於けるそれは、一切の固定観念、先入観、名前、概念、記憶、しがらみからの解放。

2006-03-18

<ぶろぐの場所><<というのは、不思議で恐ろしくてわくわくして裏切られてまた思いなおして、妙な場所
この謂いも先日の他者と我が内にある他者の議論のような気もする。
フロイトや生化学や認知科学に生の有限性を断裁されるまでもなく、この地方には、心でも明けはなくこの世にも明けのない不明瞭な諦めの人生が常に蔓延っていたのだろうか。

2006-03-20

人望の無さが世界を不幸にした

2006-03-21

人間に生まれることは希有なことで誉れ高いことだと言う

2006-03-22

「可愛い傘ですね、いい色、だれが買ったのですか」

2006-03-23

寂しい夜の過ごし方があるだろうか