2006-04-29 懐疑論と不殺生
_ 先日、映画を観ていて気分が悪くなった。子供達はそんなことはお構いなしに最期まで楽しんだだろうから、ますます気分は悪くなった。
というのは、口が裂け恐ろしい顔をした笑いと叫びの声を発する奇怪なトロルが出現し、殺人を繰り返すのだが、そのトロルを、善人が皆殺ししていくという展開である。
まずは、悪人というものが存在するのだろうか。悪魔といった方が良いかもしれない。鬼とか悪魔とか殺人鬼とかいう存在である。
私達こそ牛さんや豚さんや鳥さんにとっては殺人鬼であるという現実がどうであるかという議論もあるが、「当然殺して良い存在者があるのだ」という世界観が問題なのである。言ってみれば、生きとし生けるものを慈しむという教理や不殺生という教理に真向から反する前提がどうなのかである。
奇麗事かもしれないが、生き物は同様に齷齪しながら罪を重ねながらそれぞれの幸福へと向かって努力しているのが実体ではなかろうか。そこへ二者択一を持ち込む思考方法に問題がある。
_ 神仏は、その救う対象を限定するのかしないのか。
_ 普通に考えれば、神仏は無差別に救いの手を差し伸べるだろう。しかしながら、帰依しないものを排除する可能性はある。その点、信仰や帰依や忠誠心に関わらず、一切衆生に仏心ありとする仏教は大丈夫だと普通思うだろうが如何だろう。
先日、維新の志士の某氏についてある人と話した。平和で協力しようと言いながらその人の話になった。どうも彼女と私とではその志士に対する評価が違う。次第に彼女は真剣になり語気が高まる。私の方もどうも気合が入り過ぎて、気がつくと二人の意気投合は過去のものへと色褪せ、逆に敵意さえ伴う真剣さだけが残っていた。
握手をする時は問答無用が良い。細論をああだこうだと言い始めると、意見の違いだけが目につき、論争が口論になり対立と対抗が勝って来る。
_ そんな時、私はブッダの言葉を思い出した。スッタニパータ839。
マータンガが言った。
「あなたは、諸々の勝者が求めた女や宝を求めないのであれば、どのような戒律、道徳、生活法を、またどのような生存状態に生まれることを説くのか」と。それに答えて、釈尊は「私はこのように説くということがない(837)」。「教義や学問や知識や戒律や道徳によって清らかになるとは説かない(839)」と言う。
マーガンディアが釈尊に対して「真理を限定しない教えなどばかげている」と釈尊を問いただすと、釈尊は、
「あなたは、見解に頼って尋ねるから、あなた(の考えや欲望)に捕らわれるがままに迷妄に落ちるのです。あなたは私が得ているこの平安の想いを観る(窺い知る)ことがない」と。
他所において、釈尊は見解には必ず高慢が伴われるという。「あなたの方が『優れている』『劣っている』『同じである』という想い」によって迷うと。また、名称には必ず好みと嫌いと、貴賤、上下、善し悪しが伴う。また、所有には支配欲が伴う。
「どうでも良いことはどうでも良いこと。分からないことは分からないこと。それより、自分がどうして苦しいのか、どうすれば苦がなくなるのか。それが問題だろう。そして、その苦をなくす縁起が分かっていれば尚更だろう。それよりもだれか思いっきりつらい人がいたらいっしょに解決しようよ」。
_ ブッダの眼には、善人も悪人もなく、どうすれば彼らが幸福を得られるかが覚りであった。
だからこそ不殺生戒を守りたい。
_ 人を殺すなかれ、人をして殺さしめるなかれ、ひとの痛みを分かれ
- 67 http://nehan.net/
- 6 http://www.nehan.net/cgibox/td...
- 4 http://www.nehan.net/cgibox/td...
- 2 http://www.nehan.net/cgibox/td...
- 2 http://www.nehan.net/cgibox/td...
- 2 google検索(悟りを開く)
- 2 http://sbs.mobile.yahoo.co.jp/...
- 2 http://nehan.net/index.html
- 2 http://nehan.net/index-1.htm
- 2 http://ishiteji.interlink.or.j...
- 1 http://www.nehan.net/cgibox/td...
- 1 http://www.nehan.net/cgibox/td...
- 1 http://www.nehan.net/
- 1 google検索(釈迦 苦しみ)
- 1 http://www.google.co.jp/m?eosr...
- 1 http://www.google.co.jp/imode/...
- 1 http://webryreader.biglobe.ne....
- 1 http://search.yahoo.co.jp/sear...
- 1 http://search.yahoo.co.jp/sear...
- 1 msn検索(現実と非現実)
- 1 http://nehan.net/\r\n\r\n
- 1 http://fillbest.com
- 1 http://ezsch.ezweb.ne.jp/searc...
- 1 http://ezsch.ezweb.ne.jp/searc...
- 1 http://ezsch.ezweb.ne.jp/searc...
- 1 http://ezsch.ezweb.ne.jp/searc...
釈尊は 正しいですね。しかし 社会で生きようとすると難しいラインでもありますよね。どちらも生かす必要を考えれば 釈迦の奥深さを少しでも感じてもらえたら 釈迦も幸せだろうと思います。反論した人が悪くは感じませんが、私だったら釈迦の話をニコニコと楽しく聞いていたと思います。釈迦大好きですから(^^)v映画の話は 昔は私も同じで 昔を思い出し私も楽しく読みました。
私が あの時に修業をした方がいいと言った訳をそろそろ言わんとダメかな?と思うので言います。加藤さん自身が空海との道を歩む師となる事の意味です。私も 頑張ってかな?乗り越えました。苦しいと察しますが 頑張って下さい。釈迦の教えや観音や阿弥陀や空海の言われた事を されてきた事を教えていく先生も含めての意味です。これから先には タイに行かれるのですから、加藤さんの乗り越える問題でもあると思います。合掌
ずっと この事に 頑張って下さいと言ってました。人の生きる道は 頑張って乗り越える悟りへの道と思います。私に出来る訳がないと 仏3に逆らい続けた私の人生でしたが、今では やらないと暗い人生。根負けして当たり前ですが 仏3には 頭が上がりません。下がりっぱなしです。笑笑
どうすれば苦はなくなるのでしょう・・
そもそも人の気持ちを本人以外の他者が変えるなどおこがましいことであると私は思う。自分の苦は自分で解決する、それが簡単にできるなら誰も苦しむことなどないでしょう。しかし、苦をなくすために誰かの手が必要であるならその手を求めても良いとも思う。求められ差し出されたその手を振り払う人など稀であると思う。そんな人がもしもいたとするなら、それは余程関心を持てない人ということでしょうか。
私の場合、勇気を持つことにはかなりのエネルギーと周囲の理解が必要です。トラウマかなり大きかったですから。不自然は良くないです。
あぁーやってらんない!
勝手にひとりで思い込んで何でもどんどん決めちゃってるみたいだし、まるで人格無視されてるみたいでかなりムカつく!
野原さんへ 大苦を抜く事は 悟りを開く事と同じ事です。加藤さんにも言いましたが 悟りを開く事は 一人では決して出来る事ではないです。必ず 悟りを開く前には 悟りを開いた人の力を借りる事になります。それを無視した教祖は新興宗教として扱われていますよ。野原さんは ちゃんとした悟りを手にする人ですよ。頑張って下さい。陰ながら応援してます。(^^)
野ばらさんは 悟りを開く前の 大苦に苦しんでいますよ。尊師のいなかった釈迦は 何倍もの苦しみだった事と思います。私は この世に生きる希望がさえぎられた思いがして、子を置いて死のうかと 真剣に悩みました。死んで 釈迦や観音や阿弥陀などに合って話がしたいと思いました。悟りとは何ですか?と 話がしたかったです。でも 釈迦は不殺生。
悟って、悟りって意味があるのですか?悟っても 人は殺し合う。私が悟っても意味がありますか?お釈迦さんは 悟って意味が合ったと思いますか?釈迦が悟っても 戦いを止めない人もいた。何の為の悟りですか?と 当時は聞きたい事が 山のようでした。
今は 意味が合ったと思っています。(^^)v
昔に流行りましたね。ぶたもおだてりゃ木に登る。自分を豚に見立てて 確かに!私も おだてられたら天に登る思いと共感して 大爆笑でした。人の心に仏心!仏様が 仏を止められない止められない訳でしょうね。(^^)v人の心には 立派な仏さんがいます。悟りを開かせる為の 仏心と思います。悟りを目指させる為の 仏心と思います。