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2006-08-25 生い立ち−ある投稿

_ 生い立ち−ある投稿

_ 私が仏教を志し決断したのは15才の時でした。

私は有名校に進学が決まっていました。しかし父は師匠でもありますが、進学校、学校に行くことは仏教に反することであると言い出しました。今の学校は、競馬馬を生み出す所である。人間を非人間にして競走馬に仕立て上げる企業のための養成所であるといいだしたのです。

漠然と、父の人助けを見て仏教こそ我が仕事と思っていた私には強烈な刺激でした。

何といっても、その道は私たちがあたり前に目指している、名声とか、出世とか、抜きんでにということとは無縁のことだったからでしょう。

半年に余る議論が戦わされました。父と母とそして僕。

父が死ねば、私たちは寺を追い出され路頭に迷います。新聞配達をして生きていけばいい。と、私は母にいいました。こんなことを思い出すのは三十三年ぶりでしょうか。新聞を配ってでも私は母を養うから、進学をあきらめて昼は弟子の修行をし夜間高校に通うことをいつしか僕は決めていました。

しかし、母の思いに父も絆されたのでしょうか。受験。合格。入学式。そして、しかし、「行くな」と命令されました。命令というのは、私は既に父の弟子になろうと決めていたからです。

このまま高校にはいけない。夜間への編入も進められていました。そんな時、女性の担任の先生が来ました。

受験しておいて、辞めるという風変わりな世間知らずの傍若無人の人々を前にして乗り込んできた人物に父はどうして負けたのでしょう。

一週間ぶりに通ったその日の教室を私は一生忘れません。半ば恥ずかしく、半ば誇らしげであったと今初めて思います。全ては父の策略だったのでしょうか。それとも人情の成り行きだったのでしょうか。その答は今後の生き方にのみ懸かっています。

15歳16歳が人生の岐路かもしれません。そんなことを言うとその後の何十年は何なのかということになりますが、やはり人生の舵を切るのはまさに今です。

お蔭で久しぶりに自分に迫ることが出来ました。感謝です。

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_ 雪だるま (2006-10-13 10:30)

う〜ん。仏教と受験。現代の仏教選手は 現代の受験に反論ばかりで つまらないです。現代の受験が 正しい事とは思いませんが、でも 良い事も生まれてくる事も多いですよね。勉学に反抗した一人の人間ですが 今は勉学を怠らなければ……と思う事も多いです。他人が目指した世界に否定的なのは 嫉妬 恐怖などなどでしょう。しかし 仏3は違いますよね。勉学をした者も 勉学を怠った者も 救いの手を差し伸べており 魔の様な互いの世界(社会)が 福となる様に生きておられますよね。仏教と受験。あまり 難しく考えないで 子供の成長を楽しみに生きたいです。






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