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資料 | |||
石手寺刻版(1567年)) 一、淳和天皇天長八辛亥載、浮穴郡江原郷、右衛門三郎、求利欲而富貴、破悪逆而仏神、故八人男子頓死、自爾剃髪捨家順四国辺路、於阿州燒山寺麓、及病死一念言望伊予国司、爰空海和尚一寸八分石切八塚右衛門三郎銘、封左手、経年月、生国司息利男子、継家号息方、件石令置当寺本堂畢 |
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レファレンス協同データベースより 石手寺の「板書」(永禄10(1567)年製作)より古い資料を引用している文献は見付からず。 【資料1】P16「衛門三郎のことが出ている一番古い文献は、永禄十年の記銘のある伊予守河野通宣の「予州安養寺」の刻板である。」 【資料2】P118「見聞の範囲から申すならば、石手寺の永禄十年の「板書」(刻字)が早い。」 【資料3】P719「河野通宣による永禄一〇年(一五六七)の石手寺縁起を書いた刻板にみえるから、遅くともこれまでにこの伝説は成立していた」 【資料4】P39「この衛門三郎伝説の初見となるのは、永禄十年(一五六七)四月の日付がある、河野通宣による「石手寺刻板」である。」 資料1】『松山市史料集 第2巻』(松山市役所、1987)【資料2】『熊野山石手寺』(北川 淳一郎、石手寺、1962) 【資料3】『熊野山石手寺』(石手寺、1981)【資料4】雑誌「伊予史談 第175・176合併号」(伊予史談会、1965.3) |
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石手寺巻物 ─昔、当国浮穴郡荏原の郷に人あり。名を衛門三郎と云いけり。其家代々富さかう。然に、此人の性たらく、慳貪邪見にして、財寶を貪り悪逆無道、神を蔑し仏を嫌う大悪人なり。然るに自らなす孽は逃るべきに他なし、思わざりき八人の男子俄かに皆悉く死に失せたり。夫れ子を思うは人の情なれば、これ程強剛の衛門三郎も頓て地に入る思いに堪ず、即時に邪見を翻し家を捨て身を忘れ、四国巡禮幾度いう数を知らず、時に天長八辛亥年阿州焼山寺の麓に病んでその身まさに終わらんとするにおよんで、不思議なる哉、弘法大師一寸五分の石に衛門三郎と名を刻みつけ両手に授け給う。それより幾許の年月を経てか、河野息利の男子に生まれ来たり遂に家を継ぐ。息方と名乗り、この国を領せり。この人誕生のときに日数を経るに左の手を開くことなし。玆によって当山において祈願ありければ、頓に手を開かれしに件の石掌の中にありけり。 則ちその石を当山に納む。寺号を安養寺と申しけるを改めて石手寺とぞ伝え侍りき。─ 石手寺宝物館所蔵、江戸時代か。古来、石手寺のお弟子さんはお遍路さんが来られると右の巻物を開いて衛門三郎の顛末を読み上げていた。 |
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所感 | |||
衛門三郎の話の時代設定は、空海大師の時代であり、大師の自伝である「三教指帰」(仏教入門4再生修行に訳と詳説)によると大師18才~4才迄の間となるから西暦798年頃である。 衛門三郎譚は諸説あるが、骨子としては上記の石手寺刻板に従う他はない。 他説の要点を列挙すると、 ①利を求めて富み、神仏を嫌った ②行き倒れの僧を追い払った ③子が死んだ ④遍路に出た ⑥20回順打ち(右周り)した ⑦21回目に逆打ちした ⑧焼山寺で行き倒れた ⑨空海大師に石を握らされた ⑩伊予国司に生まれたいと言った ⑪人助けしたいと言った ⑫河野家に生まれ左手を開かないので安養寺で祈願すると衛門三郎の石が出た、そして寺名を石手寺とした |
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罰当たり地獄行きぞ いまに衛門三郎みるぞ 久万の道の駅で若い歩きの遍路さんに逢った。彼は職務質問されることを嘆いていた。不審者扱いされるのだ。ホームレス救援をしていて、同じような嘆きを聞いていたからピンと来た。その彼がこう言った。 「『今に見ておれ、衛門三郎見るぞ』とよっぽど言ってやろうかと思った」と。 衛門三郎は生きている。 見かけは汚い弘法大師を 追い払う無慈悲な衛門三郎 衛門三郎の話は、「罪と罰」の話である。衛門三郎はこともあろうに弘法大師を叩き出す大悪人である。私はずっと自分は衛門三郎とは関係ないと思っていた。ところが告白(仏教入門1参照)したように、ある極寒の日、一人の糞尿にまみれた泥酔の老人が門前に横たわって動かない。私は彼を家に入れようとするが悪臭に狼狽していたときだ。師匠はすくっと彼を抱き上げて家に入れた。そのとき思った。 「私こそが衛門三郎だったのだ」 テレビでは毎日のようにパレスチナの殺戮やアジア・アフリカの飢餓が伝えられる。また、格差で学校に行けない子どもたち、結婚しない若者、子どもをつくれないことが報じられる。 彼等が我が家にやって来たらどうするだろう。 学資を貸すか、家に泊めるか、食事を出すか・・・ 追い返すならば、衛門三郎である。 あかしんごうみんなでわたればこわくない 戦争もみんなでころせばいたくない ・・・・・・ やっていないで済ませばそうりの国うつくしく、ほこれば病みゆく罪と罰・門叩く音はすれども声きこえずば地獄ぞ住み処 仏教は罪の自覚から始まる。 罪の自覚とは自分が衛門三郎であると知ることである。 ここに遍路の原点がある。 衛門三郎は逆打ちで大師に会う 閏年に逆打ちをすると御利益大なり。そのルーツは衛門三郎。石手寺の境内は五仏曼陀羅。五仏を観光客は右に回るが、地元の信者さんは左回りに巡る。 右回りは布施行、左回りは修行 弘法大師は左回りして覚る 衛門三郎も逆打で大師に会う 逆打で三郎が弘法大師に会えたとは、汚い乞食僧の真の姿が見えたということ。 実は弘法大師 見かけはきたない僧 を衛門三郎は追っ払う。三郎には僧の正体を見破る眼力がなかった。見えないものには心に尊いものが見えない。その答えは、「右回りは慈悲」「左回りは修行」に隠されています。 逆打ち・左回りが修行 いくら慈悲行をしようとしても眼力がなければ施すことはできません。誰に何を施したらいいのか。見かけが綺麗な者に布施して、汚い者には布施しないのであれば、再び訪れた汚い僧を再度追っ払うでしょう。相手が弘法大師だからするのではなく、実はみんな弘法大師なのです。弘法大師も二十歳のときは市中に糞尿を浴びせられながら光明という名の布施者に助けられて苦難の遍路をする一人の遍路人であり、後に室戸で発心して大師への道を発見します。(是非仏教入門4三教指帰を読んでください) 汚い僧が自分と同じ人間であり、今夜の夜露に苦しむだろうと思うから布施をするのです。 このとき布施は布施ではなく自分の為となります。では、この眼力はどうすれば身につくのか。無心に不動呪文を唱えて、自分の至らなさを懺悔し煩悩を反省し慈悲を求めるのです。それは右回り、即ち順打ちです。亡き人を供養し、悪業を懺悔し、布施して辺土し、接待される行です。そしてそれを下地として、四年に一度、逆打ちの左回りをします。自分に開眼の時が訪れるのです。貪りや怒りの煩悩によって覆い隠されていた真実が見え始めるのです。瓦礫と宝玉を転倒して見ていた心が入れ代わって、真贋を見抜く眼力が身につくのです。 では真の宝とは何か。 衛門三郎は再生して人々の役に立ちたいと言いました。若き空海上人は、石槌を左回りして室戸に「自他兼利済」と第二の発心つまり仏の発心を宣言しました。 発心に二つあり ㈠自分の為の発心 ㈡自他兼利済(仏の発心) 三郎が、罪を感じて出奔したのは、自分のための第一の発心である。子どもの死を痛んで供養の旅に出るのも、実は自分のための第一の発心である。三郎が再生のとき、「人のために尽くしたい」と願うのは、第二の自他兼利済の発心である。 弘法大師が、二十歳で四国に放浪するのも、御自身が進退に谷まって嘆息する自分のための発心である。ついに室戸で明星を発見し「自他兼利済」を決心するのが第二の発心である。 発菩提心真言には、この「自他兼利済」の願いが籠められねばならない。しかし、そのように心底思い始めるのにはまだまだ時間がかかる。 思うとしているは大違い 弘法大師は「自分も他人も幸福になる」ということを室戸で決心する。これは第二の発心であり人生の再出発=再生である。しかしその決心には重大な問題が隠されている。 自他が皆一緒に救われることを決心したのだが、その決心には次の三段階があるのだ。 ①正しいと思う ②そう願う ③そうしている・・・この三つは根本的に違う。 たとえば、東日本震災で人々が路頭に迷った。 ①の人はテレビを見てうなずく。 ②の人は、助けたいと祈っている。 ③の人は既に東北に出かけて毛布を配っている。 お勤めには「発菩提心真言」が欠かせないが、菩提心とは ㈠悟りを求めること、 ㈡人々を救済すること の二つである。私たちは何度も「おんぼうじしったぼだはだやみ(我は菩提心を発起せん)」を唱えるが、衆生再度を念願しているのか。これが逆打ち遍路修行の重大問題となる。 思うに、衛門三郎は大師を追い払うが、夜露に濡れるのは可哀相だが、家族が大事なのでやめた。つまり弱っている人を助けるのは『②そう思う』が、『③そうしている』ではなかった。だから後悔して償いをしようと家出するのである。 自他兼利済を思わない人が、思うようになるまでは千里も道のりがある。そして実行している自分を発見するまでには万里があるようにも思える。しかしこの違いが分かって、自他兼利済=皆一緒安楽を願う人は、到達しているに等しい。これを、 発心即到=発心すれば即ち到る という。自他兼利済を発心すると共苦し その日から衆生の苦を背負い始める 悩み相談の開始である 衛門三郎の話は、上下逆転の話である。 長者の三郎が、行き倒れ遍路となり、薄汚い乞食僧が、弘法大師になる。 しかし、衛門三郎は、最愛の子どもを亡くし、遍路に身をやつして身の程を知り、考えを逆転させる。建て広げた家屋敷は、高慢を太らせるためではなく、弱い人々を助けるためにこそあったのである(この点は是非仏教入門4をお読みください)。 大事なのは屋敷か人かと問えば、人が大事であった。それを忘れていた三郎は全てを失ったが、そもそも何も手にしていなかったというべきだろう。 そして、何も持たない薄汚い遍路は、実は多くの可能性と喜びを秘めていたということになる。 金ではなく人情だ と言えば、事足りるようであるが、頭で分かろうとする人間には遠ざかっていく。だから八八の長い長い円運動が待っている。 まるで車輪の上下が逆転するように 不動呪と虚空蔵呪 不動呪「バザラ金剛よ我を清めたまえ」 虚空蔵呪「金剛の宝よ出現せよ」 私たちの心が画用紙だとすると、そこには自分の家や地位や財産や家族や・・・色々なものが描かれていて、ひょっとするとごちゃごちゃである。 それを消しゴムで消すのが不動呪である。 すると、真っ白な宇宙が広がる。 この広大な宇宙の中で 何を拾い上げるか、何を見るか そこに、ただ一つ大事なものを描く。これが虚空蔵呪である。 しかし、最初から良い絵が描けるはずもない。 描いては消し、描いては消しして本物ができる。 三郎は、自他の幸福を第一義とした 再生の寺石手寺で生き方が変わる 遍路は癒しの場と言われる。 しかし、自分が癒されただけでは、修行は完成ではない。 弘法大師も衛門三郎も、苦行の果てに得たのは、それまでとは別の生き方である。 生きる方向が変わるのが再生修行 自分本位から、皆一緒の生き方へ 上下転倒して皆一緒なり この本は仏教入門4「再生修行」の縮刷版です。 是非本書にて弘法大師の遍路行をお確かめください。 |
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